
登山道の入り口(愛宕神社)までは小浜駅から徒歩10分とアクセスはよく、登山道入り口から主郭までは徒歩約20分ほどで登れます。
標高は171mとそこまで高くはありませんが、所々岩に苔がはえていたり落ち葉がたくさん落ちていたりで滑りやすい場所があるので登山靴はどの滑りにくい靴で行くことをおすすめします。
訪問当日は、雨が降って少し肌寒く感じましたが山から下りるころには汗びっしょりで足が震えておりました(笑)
🚙後瀬山城の駐車場・アクセス
後瀬山城に専用駐車場はありませんので、愛宕神社の駐車場か小浜駅前市営駐車場を利用します。
自分が訪問したときは、小浜駅前にある若狭おばま観光案内所の駐車場に停めて徒歩で向かいました(観光案内所の方に許可とりました)
小浜駅から徒歩で10分ほどで登山道の入り口に到着します。
詳しい案内は別の投稿で写真付きで解説していますのでそちらをご覧ください。
後瀬山城の位置を見る方はこちらからどうぞ👐
後瀬山城の歴史
- 1440年 武田信栄が若狭守護一色義賢を謀殺し、代わって若狭守護となる。同年信栄が没し信賢が若狭安芸守護となる。
- 1467年 応仁の乱がおこり、信賢が東軍の中心将として活躍する。
- 1471年 若狭守護武田信賢死去し、武田国信が若狭安芸守護となる。
- 1490年 若狭安芸守護武田国信死去。武田元信が若狭安芸守護となる。
- 1519年 若狭安芸守護武田元信剃髪し佛国寺に隠居し、武田元光が若狭守護となる。
- 1522年 元光、日蓮宗長源寺を向島に移設し居館を造営。後瀬山城を築城する。
- 1538年 重臣粟屋元隆が反乱し、武田信豊が鎮圧。信豊が若狭守護となる。
- 1558年 信豊と子の武田善統が争う。
- 1599年 信豊と義統が将軍家の仲介で和睦。義統が若狭守護となる。
- 1567年 義統死去し、武田元明が若狭守護となる。武田信方が主家に叛く。
- 1568年 朝倉氏が若狭に侵攻し、元明を拉致する。
- 1574年 丹羽長秀が若狭を治める。
- 1587年 浅野長吉が若狭を治める。
- 1600年 関ケ原の戦い。京極高次が若狭を領する。
- 1601年 京極高次、後瀬山城を廃城し、雲浜に小浜城の築城を開始する。
京極高次は近江(現在の滋賀県)の大津を治めていました。
1600年の関ケ原の戦いがおこる前、高次のもとに西軍(石田三成側)と東軍(徳川家康側)双方から味方になるように手紙が届きます。
高次は西軍に属しながら東軍に西軍の情報を流していましたが、西軍にそれが発覚し攻め込まれてしまいます。
大津城に籠城した高次は、関ケ原の戦いの当日に降伏開城するまで西軍を迎え撃ちました。
関ケ原の戦いで東軍が勝利すると、高次の行動が西軍の足止めとなり勝利につながったとして若狭一国を与えられます。
高次は最初後瀬山城に入りますが、山城は近世の城郭の発展に合わないとし小浜城を築城を開始し、後瀬山城は廃城となりました。
小浜城の見どころ・アクセス・御城印は別の投稿に書きましたのでそちらをご覧ください😊
👀後瀬山城の見どころ

登山道の入り口から主郭部まで約20分。
主郭部まで登ると石垣が残っており、当時の様子を思い浮かべることができます。また、東屋が建っているので少し休憩するのがおすすめです。

頂上からの眺めですが、訪問当日は雨が降っていて見晴らしはあまりよくありませんでした。また木に葉っぱがたくさんあるため見えづらく感じました😓
しかし、木の枝の隙間から見える景色は絶景です!
📜後瀬山城の御城印(販売場所・デザイン)
後瀬山城の御城印は、小浜駅前にある「若狭おばま観光案内所」で購入できます(1枚300円)
若狭おばま観光案内所
開館時間:9:00~18:00(冬期は17:00まで)
休刊日:年末年始

後瀬山城の御城印には、若狭武田氏の家紋である「四つ割菱」が描かれています。
小浜城の御城印とセットで集めると歴史がつながるのでいいと思いますよ😊
後瀬山城を登ってみて
訪問当日は雨が降り始めてきましたが、観光案内所の方に確認したところ前日は晴れていたのでこのくらいの雨なら登れますよとおっしゃっていただけたので登りました。
最初は階段もありましたが道が急で所々岩に苔がはえていたり落ち葉がたくさん落ちていたりで滑りやすかったです(特に降りるときが少し怖かったです)。
訪問されるかたは、登山靴など滑りにくい靴で登城することをおすすめします。
今回は時間と天気の関係で訪問しておりませんが、麓には若狭守護武田家の菩提寺でもある発心寺や常高寺などのお寺もあるのでぜひゆっくり回っていただきたいとおもいます😊


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